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昨日オフクロが亡くなったと言う話をした。 今日はその話を。 死因は肝臓ガン。 こんな風にサラッと言ってしまうと ガンで苦しんで死んだように見えるかもしれないけど 肝臓ガンと言うのはまるで老衰の様な死に方をするらしく あまり苦しまずに死ぬ事ができるらしい。 自分が部屋の片隅にいたのでオフクロが亡くなる瞬間を共有したのだけど 苦しまずにまるで眠るように息絶えた。 これで両親は何方も亡くなった事になるが やっぱり母親と言うのは子供にとって特別なものであるようだ。 自分は今年で54歳だからもう立派なオッサンである。 実際嫁さんも子供もいるわけだし。 でも母親はちょっと特別で別格な存在に変わりない。 もうこの世で自分を守ってくれる者はいなくなったのだなと言う感じ。 嫁さんがいるけど嫁さんはやっぱり自分を産んでくれたわけではない。 オフクロを守護神だとすると嫁さんは2トップのパートナーという感じ。 だから絶対的な安心感と言うものが無くなった感じがする。 何かあっても誰も自分を守ってくれないし 自分で何から何まで1から10まで全部こなさなければいけなくなったと言う感じがする。 勿論本当に守ってくれるわけではないのだが 自分の絶対的な味方がいなくなった感じ。 真の子離れ、親離れと言うのは こんな風にオフクロが死んだ時に初めてやってくるものなのかも。 ずっと以前にも書いた事だが 自分の1番最初のおしゃれの師匠は実はオフクロだった。 元々オフクロは服飾デザイナー志望で文化服装学院の卒業生だった。 同期はコシノジュンコだったと言うから 大体の世代は分かるだろう。 そんなオフクロだったから当時からかなりおしゃれで 学校の授業参観などに来るとそれはそれは自慢のオフクロだった。 雰囲気が垢抜けていて周りとちょっと違っていた。 自分が小学校の高学年になるとだんだんおしゃれに目覚める年になってくる。 その時におしゃれの基本を教えてくれたのがオフクロだった。 TPOなんて言葉を使っていたのは田舎だったし当時は誰も居なかった。 そこでオフクロを通して自分もおしゃれのいろはを覚えていった。 でも子供はいつか自分の個性と言うものを獲得していく。 そのうち自我と言うものに目覚めてオフクロを超えていく事になる。 だんだんパンクファッションやアイビー ブリティッシュトラッド、モッズと言ったスタイルを吸収していって 自分なりのスタイルを獲得していく事になるわけだ。 その頃には「無難が1番良い」と言うオフクロのセンスを 真っ向から否定していく事になる。 後年施設に入ってオフクロのところに面会に行くと 調子がいい時は自分の格好にダメ出しが出る事がよくあった。 「まったくお前はいい年してそんな格好して!。」と言われる事も1度や2度ではなかった。 その度に自分は笑いながら「オフクロには俺のセンスは分かんねえよ。」と いつも軽口を叩いたものだった。 オフクロにとっておしゃれというものは結局社交辞令であり 人と人の間を取り持つ潤滑油の様なものだった。 でも自分にとっておしゃれというものは自己表現であり生き様だった。 ここまで価値観が違うわけだから 当然ぶつからぬ筈はなかった。 結局自分にとってオフクロはきっかけでもあり 超えなければいけない最初の山の一つだった。 あらためて。 なんとも言えない喪失感。 いつか来るだろうと思っていた事がとうとう来てしまった感じ。 これから自分はどうやって生きていけばいいんだろう。 自分が苦しい時には文句を言いつついつも助けてくれた。 もうその人が居ないと思うとなんとも言えない虚脱感に襲われる。 最後に今日のおしゃれについて。 これは本当は昨日切る筈だったコーデ。 発想のきっかけは足に巻いている包帯だった。 実は先週階段を踏み外し転んで右足にかなり大きな擦り傷を作った。 それを隠す為に包帯を巻いたのだが それをおしゃれとして利用出来ないかと思って考えたコーデ。 これを昨日着るはずだった。 ちなみにコートはドクターコート。 お医者さんが着てるアレである。 多分この格好を見てオフクロは 「全くお前は!見ていると本当イライラするよ!。」と悪態をついただろうと思う。 もうあの時がやってこないんだなと思うと 寂しさもひとしお。 オフクロ。じゃあまたね。 どこかで。 では。