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ホワイト系のその他を着用したメンズの秋コーディネートの1枚目の写真

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encore.のその他を使ったコーディネート

結局のところ孤独を感じるというのは、自ら孤独の方向に向かってるからで、例えば、誰も聴かないような音楽を聴いたり、誰も読まないような本を読んだり、本来なら誰とでも共有できる趣味嗜好の選択を、自らが遠ざけているに過ぎないんだろうと思う。でもそれが要因になれど、特に孤独を感じない人は感じないし、それはあくまできっかけに過ぎないとも思う。 天邪鬼というのは、繋がっていたい欲求を隠してそれを認めたくないから誰も触れない領域に足を踏み入れようとする。選択の理由が「(この音楽は)誰も聴かないから」とか「(この本は)誰も読まないから」といった消極的な理由になる。何が問題かって、それを自ら選択しているようで、それは自らが選択していないってところだと思う。最終的には自分が首を縦に振って、それにうなづくんだけど、決め手となる要因が他律的であって自律的ではない。そこに振り回されている。その結果として、今本当に自分が望んでいるものや、自分という存在が生きているという感覚が持てないんじゃないかと僕は思う。流行りに流されまいとして、結果的に自分がわからなくなって、その頑なな振り回されたくないという意思に振り回される。 本題に戻して、孤独を感じない人は恐らくいないけど、必要以上に孤独を感じない人というのは、繋がっていたいという欲求にもうまく対処できる人なのかなと思う。そして、選択時に振り回されず、かつそれを自らが意思決定できる人というのは、自分の足が地についていてどっしりしてるから、自己と他者の境界線をしっかり把握出来ているがために、無闇に他者と繋がろうとしない。それが、自ずと孤独を必要以上に感じない要因になるのかなと憶測ではあるけどそう考えている。 自分を確立しようと天邪鬼になって、結果的に他律的な選択を迫られる。本当に自分が望んでいるものや、自分という存在が生きている実感を持てないから、他者にすがろうとする。でも自分がわからないのに他者にすがろうとしても、空気の壁に寄りかかるように、そこにすがれない。他者も何であるのかわからないから。自分を持とうとしているのに自分がわからなくなるって何だか矛盾してるようで、真理なのかもね。 自分を持つって難しいのだけど、本来は自分を持つということをわざわざ意識的にしなくとも、自分は自分であることには生まれてこの方一切変わらない事実であるし、無理くり自分を探す必要もないんだとそう思います。川が上流から下流に流れるように、そこに浮き輪浮かべて流れるのが本当は一番自然なんですが、僕らには自我ってのがありますから、天邪鬼になったり面倒な感情を持っては、川の流れに逆らって見たり、横断しようとしたり、他の川の大きさとか、流れる速さとか、水の綺麗さとか、生き物の数とか、比べちゃったりする。他者にすがろうとするというのは、隣の川に飛び込むことを言うのかもね。自らが川であるのに。でも自分を探すことは自然なことであるんですよね。いつだって手のひらに感覚として、自分というのを感じていたいですもん。そこに趣味なり嗜好なりが存在するんだろと思います。それを無理くり見つけようと、自分を探そうと奮起した時に、天邪鬼というものが出てくるのかな。それが孤独になる。 と言うような戯言を何ヶ月か前に執筆してたようです この孤独に対する諸々の意見、僕自身の経験から勝手に言ってるわけで、つまるところ僕は孤独なのです。孤独の道を自ら進もうとしてる。何故進もうとするのか、それには色々ありますが、食べ過ぎと秋の香りが網戸の向こうから漂ってくるのと眠いという理由から割愛します。 疲れてる時に読むと一切頭入らんね、この文章。 おやすみゴンザレス という下書きを投稿します 連続ですんません

encore.

@encore0 / 179cm / MEN / ショートヘアー

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